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坂の上の街「天王寺区 上本町」エリアの魅力


「大阪といえば、低地ばかり」と考えていませんか。標高が10メートルから30メートルとはいえ市内でほぼ唯一の高台が上町台地で、その中心部にあるのが上本町です。水はけがよく地盤が安定していることから古代から人が住んでいたエリアで、今でも高級住宅地になっています。

上本町の範囲と歴史

上本町は縄文時代の古くから、大阪で最も早く開けてきました。さらには、「難波宮(なにわのみや、なんばぐう)」が置かれ日本の中心だった時期まであります。これらには環境のよさが影響しています。

難波宮史跡公園内に復元された大極殿基壇。周囲には大規模なマンションも増えている。

上本町の範囲

行政上の「上本町」は、近鉄の大阪上本町駅を中心にして南北は約2キロあります。東西の幅は非常に狭く、この駅の部分で近鉄の線路に沿って約500メートルある以外は、200メートルもないようなところばかりです。
ただ、通称の「上本町」としては、東は南北に走る大阪環状線との中間地点ぐらいまで、西は「谷町」と接する辺りまで考えていいでしょう。となると、幅は1キロ程度です。一般的に「上本町」と呼んだ場合は、こちらを指すことが多いようです。
また、「上本町六丁目」に当たる大阪上本町駅周辺は繁華街になっていて、この辺りだけを特に「上六(うえろく)」と呼ぶことも少なくありません。

上本町の歴史と名前の由来

上本町は「上町(うえまち)台地」の一部です。この台地は、南の大和川辺りから始まり、北へと約12キロに渡って延びています。幅は2〜2.5キロです。縄文時代には今の大阪平野の大半が海で、この部分だけが半島となって陸地化していました。大和川・淀川によって土砂が運ばれたり海面が低下したりで周辺も陸地化した後も高いまま残り、台地となりました。
縄文時代・弥生時代・古墳時代を通して、大阪でもっとも栄えたのがこの上町台地でした。7世紀半ばから8世紀末にかけては、何度か都や離宮が置かれたと考えられています。短い期間とはいえ、日本の中心だったことまであるわけです。それらはまとめて、「難波宮」と呼ばれ、今は跡地の一部が公園化されています。安土・桃山時代には、北の端に大坂城が建てられました。江戸時代にはお寺が集中する寺町でした。

大坂城(大阪城)は上町台地の北の端に、周囲との高低差を利用して建てられた。

1914(大正3)年には大阪電気軌道が上本町駅(現・大阪上本町駅)・奈良駅間を開業させました。現在の近鉄奈良線ですが、1970(昭和45)年に難波まで延長されるまでは大阪上本町駅がターミナル駅として機能し、周辺が繁華街となる原動力となりました。
大阪上本町駅。1970年に難波へ延長されたため、奈良方面への路線は途中駅になった。しかし、名古屋などへは今でも始発駅になっている。

上本町周辺の住宅地化は明治ごろから見られるものの、本格化したのは昭和初期とされます。あまり規模が大きくないためか知名度は高くないものの、一軒一軒の敷地が広く、高級住宅街でした。また、周辺には学校や大きな規模の病院が多いことも閑静な雰囲気を加えたようです。
温暖化のせいで台風が強大化し、被害もひどくなる一方なため、今の時代でも高台は大きなメリットです。上本町ならば浸水の心配はまずはありません。
上町台地は特に西側が急で、天王寺区の南西部には今も「天王寺七坂(てんのうじななさか)」と呼ばれる道がある。写真はそのひとつ、源聖寺坂(げんしょうじざか)を西に向かって見たところ。

繁華街もある文教地区の上本町

上本町は南北2キロ、東西1キロほどの比較的狭い範囲でしかないにもかかわらず、文教地区・高級住宅街・繁華街といったたくさんの要素を持っています。

文教地区

単に高校の数が多いだけではなく、伝統校や進学校が多いのが上本町の特徴でしょう。

高津(こうづ)高校(府立)

1913(大正2)年に旧制中学として創立し、戦後、共学になりました。卒業生には織田作之助(小説家)や黒田清(ジャーナリスト)などがいます。公立高校有数の進学校として知られ、例年京都大学には2桁の合格者を出しています。

清水谷高校(府立)

1901(明治34)年創立。戦前は女学校でしたが、戦後、共学になりました。卒業生には俳優の豊川悦司がいます。「大阪で最初にセーラー服を採用した学校」としても知られています。

夕陽丘高校(府立)

1906(明治39)年創立。清水谷高校同様に戦前は女学校でしたが、戦後、共学になりました。卒業生には日本で初の女性弁護士・久米愛や文部大臣を務めた赤松良子などがいます。

上宮(うえのみや)高校(私立)

浄土宗知恩院派の学校で1890(明治23)年に創立しました。長らく男子校でしたが、2011年に共学化しました。また、中学校も併設されています。野球の強豪校としても知られ、卒業生には黒田博樹、元木大介などのプロ野球選手もいます。

清風高校(府立)

1932(昭和7)年に創立された高野山真言宗系の男子校で、中学校も併設しています。スポーツの名門校として知られ、これまでに監物永三(体操)、池谷幸雄(体操)、井上悟(陸上短距離)といったオリンピック選手を輩出してきました。進学校でもあり、京大や阪大にも多くの合格者を出しています。
また、広めに「上本町」を考えた場合にその中に入ってくる範囲にも、大阪星光学院(私立)、明星(めいせい)高校(私立)、大阪教育大学付属天王寺高校(国立)、四天王寺学園(私立)といった大阪でトップレベルの進学校が密集しています。

進学校としてだけではなく、スポーツの名門校としても知られる清風高校。

繁華街

大阪電気軌道は合併や新規路線開業を繰り返し、私鉄としては営業距離日本最大の近畿日本鉄道(近鉄)となっています。現在でも上本町六丁目に本社があり、近鉄の重要拠点のひとつです。

近鉄百貨店上本町店

上本町・奈良間の開通から12年後の1926(大正15)年、駅ビル内で「三笠屋百貨店」として始まりました。「世界で最初のターミナルデパート」とする説もあります。現在の店舗は2010(平成22)年にフルリニューアルされたもので、売り場が地下2階地上12階の大規模店となっています。

シェラトン都ホテル大阪(左)と近鉄百貨店上本町店

上本町YUFURA(うえほんまちユフラ)

近鉄百貨店上本町店の南隣りにある複合商業施設で、2010(平成22)年にオープンしました。百貨店とは3つの連絡通路で直結されています。地下1階から5階までに約40店のテナントショップ、7階から13階にはオフィスが入居しています。また、6階には大阪新歌舞伎座が難波から移転してきました。

上本町YUFURAの前には新歌舞伎座の幟(のぼり)も立てられて、通りに華やかさを加えている。

うえほんまちハイハイタウン

1979(昭和54)年完成の複合商業施設です。地下1階が飲食店街、1階から3階が主にショッピングエリアになっています。15階まであって、上の階は住宅や医院などが入居しています。

シェラトン都ホテル大阪

1985(昭和60)年にオープンしました。地下1階から地上21階、全575室のホテルです。世界平和記念聖堂(重要文化財)、関西大学 第一学舎・簡文館(登録有形文化財)などで知られる村野藤吾が設計を担当しました。

交通の便

百貨店やホテルがあるのは、交通の便のよさを象徴しています。谷町線と千日前線の谷町九丁目駅は近鉄の大阪上本町駅と隣接しているので、これも「地元の駅」と考えていいでしょう。難波や天王寺へは近鉄線や地下鉄で5分以内です。東梅田へでも10分強で到着します。
また、お休みの日などに奈良へと出るのならば、近鉄で乗り換えなしです。特急ならば30分程度で、別料金の要らない快速急行でも40分もかかりません。

物件は少なめ、見つけたらすぐに検討を

周辺に公園は多めです。しかも、お寺もあるので、都会の真ん中とは思えないぐらいの静けさで、散策も楽しみになるでしょう。買い物は、少し足を伸ばせば庶民的な「空堀(からほり)商店街」もあれば、地元に老舗デパートまであります。鉄道の便までいいとなると、住宅地として人気の出るのは当然でしょう。
しかし、購入にしろ賃貸にしろ物件はやや少なく、新築のマンションがあっても規模は小さめです。今、よそのエリアでタワーマンションなど大規模な建築が可能なのは、工場などが移転して土地が用意できるからです。上本町の場合は以前からの閑静な住宅街なのでこういったことは多くはありません。
もし、上本町を引越し先にと考えているのならば、物件が出てくるのをじっくりと待ち、見つかったら時間を無駄にしないことも必要かもしれません。