大阪都心・暮らしと街のリアル情報サイト

ORENG

奈良や和歌山からは電車一本、関空からも便利な大繁華街の難波

南海電鉄・難波駅のホームから南を望む。難波駅は高野山や和歌山、関西国際空港など多くの路線が始発・終点駅としている。

大阪の繁華街は「キタ」と「ミナミ」がその代表です。キタがJR大阪駅周辺の「梅田」を指すのに対し、ミナミの方は「心斎橋」「道頓堀」「天王寺」などいくつかのエリアが含まれます。そのミナミの中でも最もにぎわっているのが「難波」です。

難波が大阪を代表する繁華街になったわけ

「難波」には「なにわ」と「なんば」のふたつの読み方があります。先にあったのは「なにわ」の方で、「なんば」はその音が変化したものです。ただし、今では意味も使い分けられていて、「なにわ」としたときは大阪市全体か歴史上の大阪、「なんば」としたときは大阪市中央区と浪速区にまたがる一角と考えていいでしょう。ここでは、「なんば」の方を扱います。

江戸時代以降の難波

かつてこの「なんばパークス」の場所に「大阪球場」があり、この位置がグラウンドであったことを示すホームベース型のタイル。

江戸時代初期の難波村は今より北にまで範囲が広がっていて、現在の中央区南部と浪速区北東部だけではなく、西区の一部まで含まれていました。特に藍染(あいぞめ)に使う藍の栽培が盛んな農村地帯でした。ただし、周辺が都市化するに連れて、難波村のエリアは次第に狭められいき、現在では中央区の一部として「難波」「難波千日前」、浪速区の一部に「難波中」の町名が残っているだけです。

難波発展の下地になったのは、1733(享保18年)年に江戸幕府によって作られた「難波御蔵(なんばおくら)」です。この前年、特に西日本は害虫による大凶作に見舞われました。江戸時代の3大飢饉(ききん)のひとつ「享保の飢饉」です。これを受けて救済米を保管するために作られたのがこの難波御蔵です。また、救済米の運搬と、窮民ための雇用を作り出すために難波御蔵から道頓堀まで「難波入堀川(なんばいりほりがわ)」も掘削されました。

明治維新以降、難波御蔵は大蔵省が管理するようになり、明治後半まで存続していました。しかし、周辺の都市化に伴い解体され、1898(明治31)年には跡地に専売公社(現・JT)のたばこ工場が建てられました。これは第二次大戦中の空襲で焼け、戦後の1950(昭和25)年に大阪球場へとなりました。南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)のホームグラウンドです。現在は複合施設の「なんばパークス」が建っています。

鉄道

関西国際空港へのアクセスのための特急・「ラピート」。その独特のマスクから、「鉄人28号」の愛称で呼ばれている。

難波に最初に開通した鉄道は1885(明治18)年の阪堺鉄道(現・南海電鉄)でした。当初は難波駅を始発駅として大阪府内の堺と結ぶだけでしたが、やがて和歌山市や高野山まで路線が延びます。また、この鉄道があったおかげで泉南(大阪府南部)の開発が進んで沿線の人口は急増し、利用客も増えました。難波駅はこれらの地域からの大阪市街への玄関口となり、デパートかでき、飲食店も集中するようになりました。

さらには、1994(平成6)年に泉南に関西国際空港ができたことから、空路からの場合も南海電鉄と難波駅は大阪中心部への重要なアクセス手段となっています。現在乗り入れている鉄道はJR関西線・近鉄難波線・阪神なんば線のほか地下鉄もあり、大阪駅・天王寺駅などと並んで大阪の3大ターミナルのひとつです。

西にあるJRの難波駅と東にある南海電鉄の難波駅は500メートルあまり離れていますが、よりにぎわっているのは南海の方です。

難波周辺のスポット

繁華街としてのキタの特徴が高級感、ミナミの中でも天王寺の特徴が庶民的ならば、難波はその中間ぐらいの感じでしょうか。おしゃれをして出かけても、普段着のままでも、どちらでもおかしくないお店の両方が充実しています。

ショッピングセンター・デパート

駅ビルに高島屋大阪店なども入居する南海・難波駅

駅周辺にはデパートやショッピングモールだけでも、高島屋大阪店・なんばマルイ・なんばCITY・なんばパークスなどがあります。

また、巨大な地下街が複数あるのも特徴です。なんばウォーク(旧称「虹まち」)は1970年にオープンしました。長さ700メートルあまりの中に通路が2本並行に作られ、その左右に飲食・ファッションなど種類を問わず約250店舗が入居しています。

1970年にオープンした地下街。「虹のまち」の名前で長らく親しまれたが、1994(平成6)年に「なんばウォーク」に改称した。

飲食店街

たこ焼き・お好み焼き・くしかつといったB級グルメから、高級レストラン、おしゃれなカフェ、スイーツ店などなど、「何でもある」というのが難波の特徴です。

これは、難波の立地を考えると納得がいくのではないでしょうか。中心部なので周辺にはオフィスもあって、ビジネスマンやOLもランチやアフター5に立ち寄ります。また、大阪府東部や奈良県からは近鉄やJRで、大阪府南部や和歌山県からは南海電車ですぐに来ることができます。若者も中高年も、これらを使って休日のお出かけ先にします。関西空港などを経由して遠方からの観光客やビジネス客も少なくありません。

こういった多種多様な人たちの要求に耐えることのできるだけのお店が自然とそろったと見ていいでしょう。

映画館・劇場

映画館「TOHOシネマズなんば・本館」も入居する「なんばマルイ」。

かつては映画館がいくつもあるのが繁華街の条件のひとつでした。しかし、難波に限らず、映画人口の減少のためにかつてほどの数はありません。ただ、なんばマルイの中にあり全9スクリーンを持つ「TOHOシネマズなんば・本館」、なんばパークスの中にあり映画化した歌舞伎作品の上映も多い「なんばパークスシネマ」など、現代風に形を変えた映画館が難波では根強く残っています。

また、「なんばグランド花月」(吉本会館)や「よしもと漫才劇場」(YES-NAMBAビル)といった劇場が今もあるのもこの難波です。さらには、2011年、NMB48のホームグラウンドである「NMB48劇場」も「よしもと漫才劇場」と同じビル内にオープンしました。

「なんばグランド花月」の入り口では、人気喜劇俳優の着ぐるみも使って千日前筋を通る人たちを呼び込んでいた。

同じく「興行場所」ということでは、南海・難波駅から南西に約200メートルのところにある「大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)」も見落としてはいけません。大相撲の大阪場所(三月場所)やプロレスのほか、Bリーグ(バスケットボール)、ブレミアリーグ(バレーボール)など様々な競技やスポーツの会場となっています。

大相撲やプロレス、バスケットボールなど大阪でのスポーツ観戦の中心のひとつ「大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)」

裏なんば

B級グルメのお店が並ぶ千日前商店街。かつてのような劇場と映画館のメッカではなくなったが、近年「裏なんば」の一角として人気が復活している。

2010年ごろから、「裏なんば」といった言い方も登場しました。当初は、南海・難波駅よりもむしろ近鉄・日本橋駅に近い味園ビル(みそのユニバース)の周辺を指す言葉だったようですが、次第に拡大しました。今は西は千日前商店街や高島屋(南海・難波駅)、東は堺筋を超えて黒門市場辺りまで、南北は千日前通(阪神高速15号堺線)となんさん通あたりまでを呼ぶことが多いようです。東西約700メートル、南北400メートルあまり四角いエリアになります。

この裏なんばには多くの飲食店があるものの、その多くがやや時代に取り残された感がありました。しかし、逆にこれがプラスに働いたようです。「レトロ感満載」「個人が経営する小さなお店が多く、お店の人も気さく」「値段が安い」「ディープ大阪の雰囲気が楽しめる」などの理由で、難波から一歩足を伸ばす人が増えています。立ち飲みや、お好み焼きなどのB級グルメのお店が多いのも特徴です。おそらくはこれも反映して、「裏なんば」の呼び方がされているのでしょう。

再開発は盛んだが、新しくマンションができることは少ない

通天閣展望台から難波を望む。右端が「スイスホテル南海大阪」の入居する「南海サウスタワービル」で、下の階は南海電鉄の難波駅になっている。

2000年ごろから特に南海電鉄の難波駅周辺で再開発が相次いでいます。ただし、新しくできるものも住居用ではなく、ほとんどが商業施設やオフィス用です。大繁華街だけに無理のないところでしょう。ほかのビジネス街や繁華街でもありがちですが、物件の名前が「難波○○」「○○なんば」となっていても、実際にはその周辺であることが多いようです。居住者が少ないだけに、スーパーマーケットなど食料品や日用品を買うためのお店も少なめです。

ただし、外食派ならば、これ以上充実したエリアはありません。もし、物件を探すとしたら、高層ではなく、築年数も古めになってしまいますが、JR難波駅周辺が中心になるでしょう。また、「食料品や日用品を買うためのお店も少なめ」といっても、市内のほかの特に便利なエリアとの比較での話です。自転車で10数分走るつもりならば、複数のスーパーが利用できるでしょう。

また、和歌山や奈良へは南海や近鉄を使って乗り換えなしで出ることができます。休日の気分転換にも便利な場所です。