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大阪市の水害リスクは?|大阪と水害の歴史について

水害 歴史

「水の都大阪」の発展は水害との歴史だった

大阪と言えば、関西においてもっとも大規模といえるほどの「西の都」であり、タワーマンションや高層マンションが立ち並ぶ大阪のシティは、多くの人々の憧れとされています。

しかし、「ローマは一日にして成らず」ということわざもあるように、大阪の街にも長い苦難の歴史があります。「水の都」とも称される恵まれた水運が発展の原動力となった一方、大阪という場所はしばしば水害によって大きな被害を被ってきたのです。

歴史に遺る「淀川大塚切れ」

大阪にまつわる水害と言えば、大正6年(1917)年10月淀川にて発生した「淀川大塚切れ」が広く知られています。この洪水は、そのとき巻き起こっていた暴風雨による水位上昇によって、高槻市大塚地区淀川支流芥川の堤防が決壊したことにより発生したものです。これによって堤防沿いに存在していた一帯のみならず、現在の大阪市西淀川区にまで甚大な被害が発生。床上浸水家屋は12848戸、全壊家屋は212戸、流出埋没した耕地は5245町歩という、空前の大洪水となりました。

過去の惨事から学んだ、大阪の水害対策

そのほかにも、大阪には数々の水害の歴史が遺されています。こうした過去をふまえ、大阪ではどのような水害対策がとられているのでしょうか。

大阪平野という地形上、水はけの悪さと向き合わなければならないこの地域において、排水用のポンプは大阪市が「ほぼ100%完了しています」と述べるほど整えられています。
出典:大阪市:大阪市の浸水対策

なお平成28年度末の雨水対策整備率では約80パーセントとなっており、これは全国平均を上回る数値です。

また、整備水準を超えたいかなる水害にも対処できるようにするため、大阪大規模都市水害対策検討会が設置されており、毎年検討会が開催されています。それ以外にも「洪水ハザードマップ」を印刷物やインターネット等で供給することによって、水害発生時の危険箇所や避難場所について絶えず公表しています。